大阪 豊中市 より荒井がお届けします。
本日より新年度 4月 突入です♪
新社会人、新入学生さらには新しいことを始められる皆様方おめでとうございます!
さて今週は先日行った長崎県が誇る 世界遺産 軍艦島(端島) について書いてみたいと思います。
1810年(文化7年)ごろ、端島(通称:軍艦島)で石炭を発見。
それから80年ほど経過した1890年(明治23年)、三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始されました。
端島炭鉱の石炭はとても良質で、隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきました。
石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、1960年(昭和35年)には5,267人が住んでいました。
当時の人口密度はなんと世界一。東京人口密度の9倍以上とも言われるほどでした。
端島(はしま)長崎県長崎市にある島で明治から昭和時代にかけては海底炭鉱として栄え全盛期は東京の約9倍の人口密度を有していたようです。
島内には、病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並び、島の施設だけで何不自由のない完全な都市として機能していた。
しかし島の半分以上は鉱場。
その残りの土地に病院や学校・寺院・神社・派出所や映画館・理髪店などが立ち並んでいたため、建物と建物の間はとても狭く、島全体が家族のように仲良く暮らしていました。
繁栄を極めた軍艦島でしたが、、主要エネルギーであった石炭がその座を石油へと移ることにより衰退の一途をたどります。
1974年1月15日に閉山、この年の4月20日に全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となりました。
昭和49年の閉山にともなって島民が島を離れ無人島になりましたが平成21年4月より島への上陸が許可され、観光・見学が可能になりました。
今回お世話になった「軍艦島コンシェルジュ」さんです♪
こちらのクルーズ船に乗って上陸します!
気象状況等により上陸が出来ない日もあるようですが今回は運良く上陸できました。
船内からの全景です。ご存じの通り遠くから見るとホント軍艦のようです!
壁が無いとこや鉄筋もむき出しになり完全に廃墟ですがなぜか魅了されます!
今後、長崎市が国と共に残存計画を立てている様ですが、ここまで老朽化した建物をいかにして残して行くのか非常に興味があります。
数年後には見学エリアも広がるそうなので、その時にはまた足を運んでみたいものです♪
それでは今週はこの辺で(^^)/
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